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双極性障害と共に歩む #1 ~自分と病気の年表~

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最初に

やあ、こんにちは。ユゥだよ。
今回の話題は重かったり暗かったりするかもしれない。でも、それをどう受け止めるかは君次第。読むかどうかは、君が決めていい。ボクはただ、自分の話を素直に書くつもりだよ。

双極性障害。この病気を「知ってる」人もいれば、「よくわからない」人もいると思う。ボクは医者でも専門家でもないから、医学的な話はしないし、するべきじゃないとも思ってる。ただ、一当事者としての話ならできる。この記事はボクの体験談だから、感じ方は君の自由だ。

一つだけ言っておきたいのは、読むのがしんどいと感じたら、無理はしないでほしい。途中で閉じても、それで構わないし、君が楽になれるならそれが一番だ。

さて、ここからは、ボクとこの病気の歩みを、時間軸に沿って振り返ってみる。どんな出来事があって、どんな風に感じて、どんな風に変わってきたのか。それを年表という形でまとめたから、よかったら一緒に覗いてみてほしい。

第1章 幕開け

2016年4月 IT企業に就職

大学時代にITに触れた経験なんてゼロ、ゼロだ。それでも適性試験で出した妙に良い成績に乗せられて、『ボク、もしかして才能あるんじゃない?』と根拠のない自信で突撃した。未経験OKのIT企業に飛び込んだんだ。結果?たくさんの経験という名の泥水をすすることになるんだけど、それはまた別の話。

新人研修が始まって早々、予想外の展開が待っていた。プログラミングだと思っていたメニューのほとんどが電話応対の練習と書類整理。え、これ、本当にIT企業だよね? 何度も確認したよ、名刺に書かれた社名を。まあ、やれと言われたことはやるしかない。ボクは雑草精神で2か月間を乗り切った。

2016年6月 プロジェクトに配属

ついに来た。本丸だ。ボクのIT人生、ここからがスタートだ。ところがどっこい、プロジェクトで使う言語は研修で教わったものと別物。まるでイタリア語を学んだ直後に中国語でスピーチを頼まれる気分だ。

最初は四苦八苦したけど、仕事自体にはやりがいがあった。少しずつ新しいスキルを覚えていくうちに、『あれ、ボクやればできるんじゃない?』って思えるようになってきた。この負荷、ちょうど良い筋トレみたいで悪くない。

2018年9月 突然の契約終了 別プロジェクトへ

その日、プロジェクト終了の知らせを受けた時の衝撃は忘れられない。まさに『ゲーム終了のお知らせ』だ。しかも、まだ中盤くらいなんだよ。強化アイテム集めて、『これから本番だぞ!』って感じだったのに、いきなり『ここで終わりです』とか言われても困る。」
「理由を聞けば、営業が客先と揉めたらしい。後日、営業部の人が謝りに来てくれたけど、『これ、ボクのせいじゃなくない?』とモヤモヤが残る。でも仕方ない。自分ではどうにもならないこともある。残念だったけど、『次に進むしかない』と気持ちを切り替えた。

第2章 地獄の入り口

2018年10月 新規プロジェクトへ(地獄第1章)

新しいプロジェクトが始まった――実際は火の海に飛び込むようなものだった。人員不足、時間不足、さらに未知のプログラミング言語。『これをどうやって回すんだよ?』という疑問を抱く間もなく、プロジェクトはスタート。営業部は『〇〇(有名大企業)に勝ったぜ!大型案件ゲットだ!俺ってスゲー!』と胸を張っていたけど、その無茶な案件、誰がやると思ってるんだよ。

残業はみるみるうちに増えていく。最初は60時間。これは結構キツい。疲労感がピークを迎え、理性が『おい、そろそろ休まないと壊れるぞ』と警告してくる。でも、不思議なもので、80時間を超える頃にはテンションが変わる。『次は100時間いっちゃう?』みたいな、謎のハイ状態に突入するんだ。周りを見るとみんな目が完全に逝ってる。『誰が最初に倒れるかのサバイバルゲームが展開されていた。

そんなある日、最初のひびが入った。体に異変を感じた。動機、息切れ、めまい。まるでプロジェクトの進行具合をそのまま体で再現しているような不調に襲われた。さすがにヤバいと思い、病院へ直行。結果は、不整脈の診断。それも自律神経失調が原因らしい。『君、もうちょっと大事に扱ってくれないかな?』って、体が抗議してきたんだなって妙に納得した。

2019年5月 心療内科を受診

長く続いたプロジェクトが、ようやくひと段落した。正直、感慨深い――なんて思う余裕はまったくなかった。残ったのは、燃え尽きた感覚と、妙な疲労感。『これはたぶん普通じゃないな』と自覚して、初めて心療内科を訪れた。

診察室のソファに腰を下ろした時、『ああ、ついにここまで来ちゃったな』とぼんやり思った。診断名がどうこうじゃなくて、とにかくしんどかった。それから、ボクの通院生活が始まる。自分のメンテナンスって、なかなか奥が深いなと思うようになったのは、もう少し後の話。

診断はたしか『心身症』だったかな。その時はあまりピンとこなかったけど、抗不安薬を処方された。しばらく薬を飲みながら様子を見ることに。効いているのか、効いていないのか、正直よくわからなかった。でも、とにかくこの日からボクの治療が始まった。

2020年3月 退職

体調も仕事へのモチベーションも、なんだか限界が近い気がしていた。毎日なんとか乗り切ってはいたけど、正直もう『これ以上続けるのはしんどい』って感じだった。稼働もそこそこ高くて、心も体もついていかない。これ以上無理しても、自分を壊すだけだなと思ったのが一つ。

もう一つは、Web系の仕事に興味を持ったこと。この時期、世の中でもWebの可能性がどんどん広がっていて、ボクもその流れにワクワクしていた。『どうせなら好きなことを仕事にしたい』――その思いが強くなっていったんだ。

そんなわけで退職を決意。もちろん不安もあったけど、それ以上に『ここで止まってちゃダメだ』っていう気持ちの方が強かった。この決断が正しかったかどうかは、もう少し時間が経ってからしかわからない。でも、この時のボクにとっては、最善の一歩だったと思う。

ここまでついてきてる?
だいぶ過酷な話が続いてるけど、大丈夫? つらくなってない?これが君の心にズシンときてないか、ちょっと気になってるんだ。

一旦深呼吸してもいいよ。むしろ、そうしてほしい。人の話を聞くのだって、体力いるからね。

ちなみに、この話、まだ「地獄の入り口」だからね。奥の方にはもっとヘビーな話が待ってるんだけど、それでも君がここまで読んでくれてるのは本当に嬉しい。

だからさ、もしここで一息つきたいなら、そうしてくれて全然いいんだよ。途中でページを閉じても、君の選択は尊重するし、それが一番だと思う。

でも、「まだいけるぜ!」って気合があるなら、この先もついてきてくれると嬉しい。ボクは君に無理強いはしないけど、もう少しだけこの話を続けさせてほしいな。

閑話休題。

第3章 新天地

2020年4月~10月 再就職までの充電期

退職してから、まず感じたのは解放感。あの過酷な日々から抜け出したんだから、それはもう心が軽くなるのは当然だよね。でも、そんなボクを迎えたのは、まさかの新しい試練。

そう、新型コロナの流行だ。コロナウイルスが猛威を振るい始めて、生活が一気に変わった。
そんな中でも、ボクは次に進むために動いていた。Web系の仕事に挑戦するため、Webデザインのスクールに入ったんだ。デザイン?ええ、全くの初心者だったさ。でも、だからこそ学ぶ楽しさがあった。新しいことを覚えるたびに『これなら次の仕事に繋げられるかも』って希望が湧いてきた。

この時期は、外の世界が大変なことになっている中で、自分の内側に目を向ける時間でもあった。何ができるのか、何をしたいのか。そんなことを考えながら、少しずつスキルを磨いていたんだ。

2020年11月 再就職

転職活動は、驚くほどスムーズだった。若手のエンジニアはどこも人手不足らしく、おそらくご時世のこともあり、正直選び放題。『あれ、ボクって実はめっちゃ需要あるんじゃない?』ってちょっと勘違いしそうになるくらいだった。

そんな中、ボクが新しい職場に求めたのはただ一つ――ワークライフバランス。もうあの地獄のような働き方は御免だ。そう思いながら探していると、まさに理想通りの会社を見つけたんだ。

その会社は小規模だけど、Web系、自社開発100%、そして何より『月の残業ゼロ』を掲げている。残業ゼロ!なんて魅力的な響きなんだろうね。『これは運命かもしれない』と思わず思ったよ。

こうしてボクの新しい職場が決まった。理想通りの環境に、期待も膨らんだ。ここでなら、無理なく働けるし、自分の好きなことに集中できるはず――そんな希望を胸に、新しいスタートを切ったんだ。

本当に順調だった。仕事も楽しいし、職場の雰囲気も良い。『やっと自分にピッタリの場所を見つけた』と感じていたんだ。

第4章 シン・地獄編

さて、上り調子に見えたボクの人生だけど、ここから急降下する。ジェットコースター?いや、スカイダイブ。しかも、パラシュートがちゃんと開くかどうかはわからない。

だって、今も絶賛落下中だから。

高いところまで上がった分、落ちるスピードも尋常じゃない。

さて、準備はOK? なら、しっかり安全バーを握って――いや、握れるものなんてなかったね。

それじゃあ、いってらっしゃい。

2021年11月 まさかの外部常駐勤務(SES)に変更

Web系自社開発100%のはずが、まさかの外部常駐勤務が決まった瞬間、ボクは『え、これ最初の話と違うよね?』。そう思いつつも、流されるままに新しい職場へ、外部常駐がスタート。今思い返せば、この時点から会社に異変が生じていたのだろう。

出向先に到着したボクを待ち受けていたのは、予想を超える地獄だった。暴言とパワハラが日常茶飯事の職場。そして入って2週間でとあるシステムの担当者が退職。いきなりそのシステムの責任者に任命された。引継ぎ?なにそれおいしいの?

(因みにエンジニア界隈でない人向けに補足すると、自社のシステムの責任者を外部の人間にするということは普通あり得ない。)

当然分からないことだらけ。だって入って2週間だよ?だから出向先の社員に質問したら、

『俺はお前の親じゃない。面倒見てる暇はない。』

…は?

そして極めつけは、

『何でお前エンジニアになっちゃったの?』

……これまでの仕事や苦労、努力をすべて否定された気持ちだった。自分の存在そのものが全否定されたようで、怒りと悔しさが入り混じる感覚を味わった。

自社で掲げていた『残業ゼロ』なんてどこ吹く風で、出向先のルールに従うため残業も発生する。しかも、当然のように業務量は増える一方。ボクの中で、理想と現実の乖離がますます広がっていった。

そんな暴言とパワハラの中、誰も教えてくれない、資料もない、詳細も不明という三重苦の環境で、ボクはただただ必死にシステムを学んだ。コードを一から読み解き、全貌を把握するために、寝る間も惜しんで取り組む日々。

一時は好転していた体調が、急激に悪化。増える薬。その時ボクを支えていたのは、ただ一つ――責任感だけだった。

2022年11月 崩壊

出向から1年。システムを詳細まで把握し、最初は何もなかった資料も作り上げ、滞りなく仕事ができるようになってしばらくしたころ。出向先の環境が地獄なのは相変わらずだったけど、少しは一息つける余裕も出てきた。

その連絡は突然だった。

母が急死した。脳卒中だった。

少し、ボクの家庭について触れよう。

父、母、妹、そしてボクの4人。それに犬が2匹、猫が1匹、カメが2匹というにぎやかな構成だ。“どこにでもある普通の家庭”の一つだと思っていた。

父とは折り合いが良いとは言えなかった。いや、父というか父方の一家全体が、いわゆる昭和のステレオタイプな価値観の人間たちだった。そして自分たちの価値観が正しいと思い込んでいて、それを押し付けてくる。ボクがシステムエンジニアになったことも、どこか馬鹿にしたような感じだった。『お前はもっと体を動かす仕事をするべきだ』なんて言いながら、実際のところは祖父が立ち上げた一族経営の会社にボクを入れたいらしい。今も言われる。嫌だから拒否してるんだけどね。死んでもごめんだ。

そんな家族観の不協和音を、うまく取り持ってくれていたのが母だった。母がいることで家庭のバランスはなんとか保たれていたんだなと、亡くなってから実感した。

母が亡くなってからの数週間は、ただ流されるままだった。葬儀の準備や手続きに追われ、目の前のタスクをこなすだけで精一杯。家族と顔を合わせる時間も増えたけれど、それが良い方向に進むことはなかった。積み重なるストレスと疲労。そして、心と体の限界が少しずつ近づいてきていた。

正直、この頃のことはほとんど覚えていない。頭が回っていなかったんだと思う。

葬儀も一通り終わり迎えた年末。些細なことから父と大喧嘩に発展した。

その瞬間、ボクの中で何かが完全に壊れた。

逃げるように実家を飛び出し、自分の家に戻ったけれど、その後しばらく記憶がない。ただ、ただ辛かったことだけは覚えている。
年明け。病院が開くと同時に、ボクは駆け込んだ。一刻も早く助けてほしかった。

診断はうつ病。抗うつ薬を処方された。

その後、会社と相談し、出向から自社勤務に戻してもらった。しばらくの間は簡単な作業だけを担当し、なんとか日々をやり過ごす生活が始まった。

2023年9月ごろ? 双極性障害Ⅱ型の診断

抗うつ薬を飲み続けていたけど、なんというか、全然効いている実感がなかった。ずっと霧の中をさまよっているような気分。主治医に相談したら、『じゃあ薬変えてみましょう』という流れになった。

そして登場したのがラモトリギン。『ラモトリギン?なんか強そうな名前だな』と、若干の期待を抱きつつ飲み始めたら、これが効いた。ほんの少しだけど、霧が晴れたような感覚があった。

飲み始めてしばらく経った頃に主治医が言った。『診断が双極性障害Ⅱ型に変わりました』と。いや、待って。何か重要なことをサラッと流された気がするんだけど。けど、今までの薬が効かなかった理由がわかったし、今の薬が効いてるなら、まあいいか。

それから現在に至るまで、ボクの人生はラモトリギンと共にある。『病名が変わった』って聞いた時は驚きもあったけど、ボクを苦しめていた“犯人”の正体がようやくわかったわけだ。それが双極性障害Ⅱ型というやつ。病名がわかったことで、治療の方向性も見えてきたし、少しほっとした。

ちょっと休憩。書いてるボクがしんどくなってきた。

みんなは大丈夫?繰り返しになるけど、しんどいと感じたら、無理はしないでね。

この記事はみんなと気持ちを共有したくて、というよりは、自分の気持ちの整理のために描いてるものだから。

ともかく、ボクは自分の病名を知ったことで、むしろ少し前を向けるようになった。敵の正体がわかれば対策の打ちようもある。一筋の光が見えた。その時はそう思えた。

第5章 光の先に待つものは

2023年10月 会社倒産、無職へ

会社が倒産した。その知らせを聞いた瞬間、ボクの心に浮かんだのは、『ああ、やっぱりか』という妙に冷静な感情だった。正直、予兆はあった。時折止まる給与、仕事がなくほぼ自宅待機の日々――むしろこれで倒産しない方がおかしいと思っていたくらいだ。

ただ、そうは言っても倒産は倒産。『これからどうしよう?』という不安が全くなかったわけではない。でも同時に、どこか肩の力が抜けたような気分にもなった。これまでの状況が状況だったから、むしろ終わりが見えたことに少しホッとした部分もあった。

倒産後、ボクはすぐに転職活動を開始した。再び働く場を探すのは簡単ではないけれど、もう一度自分を取り戻すためのチャンスだと思っていた。

2024年2月 再就職――そして暗雲

再就職先の会社では、社内の人と直接顔を合わせることは一切なかった。すべてのやりとりはチャット。最初は『ああ、煩わしい人間関係がなくていいな』なんて思っていたけど、その考えが甘かったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

案件を決める時点で、早くも暗雲が立ち込める。希望していた案件とは異なる仕事への参入を、半ば強引に勧められた。『まあ、プログラミング言語は同じだし、合わなければ変更もできる』と言われて、しぶしぶ了承。これが運命の分岐点だったのかもしれない。

いざプロジェクトに入ってみると、待っていたのは愕然とするような現実。やらされたのは、聞いていた内容とはまるで違う仕事だった。具体的には、現場の超ベテランエンジニアさえ手を出さないほど古いシステムの解析。これがまた化石級に古い。資料もない、調べても出てこない、現場で知っている人もいない。『どないせいっちゅうんだ……』と心の中で叫びつつ、ただひたすらコードとにらめっこする日々が始まった。

当然、会社に連絡して抗議した。『話が違うにもほどがある』と。でも返ってきた答えは、『その解析が終わればPHPでの開発が始まるはずだからやれ』という一言。たとえるならジュラシックパークだ。化石を掘り起こして、現代によみがえらせるような作業を、丸投げされてやらされている気分だった。

2024年6月 うつ症状の再発、強制退職

きっかけが何だったのか、正直はっきりしない。仕事のストレスやプレッシャーが大きな要因だったのだろうけど、それだけではないような気もする。何にせよ、ボクのうつ症状は徐々に悪化していった。

退職をしたかったわけじゃなかった。むしろ、なんとかこの状況を持ち直したいとずっと思っていた。でも、主治医から『3か月の休職が必要』との診断を受けたことで、状況は一変した。その旨を会社に伝えたら、『休職は就業規則上認められない』と言われ、その日のうちに退職届を書くことになった。訳もわからないまま、ただ流されるように退職届を出してしまった。

その瞬間、ボクは思った。『ああ、終わった。ボクの人生はここまでだ』と。本気でそう思った。

2025年1月現在

これが、ボクに双極性障害がもたらした地獄の試練の全容だ――なんて大げさに言いたいけど、実際にそう感じたのは事実だ。まさかこれほど転落する人生を歩む、いや、転がることになるとは思いもしなかった。

退職してからの日々、ボクはずっと自問自答を繰り返している。何をしたらいいのか、どうすれば報われるのか。そもそも、何がダメだったのか。どうしてボクがこんな目に遭わなくてはいけないのか。まるで答えの出ないクイズ番組に永遠と出演させられている気分だ。

考えても答えは出ないし、考えないでいるとそれはそれで不安になる。結局、考えることそのものが堂々巡りになって、ボクの頭の中はいつもぐるぐるしている。

貯金と資産を崩しながら生活しているけど、それもそろそろ限界。障害年金の手続きは進まないし、資産が底をつくのが先か、障害年金が支給されるのが先か――そんなチキンレースみたいな日々を送っている。

そんな中で、ボクが始めたのがこのブログ。最後のあがき、とでも言えばいいのかな?これが何かの突破口になれば、それはそれでいい。何もならなくても、少なくともやらないよりはマシだと思いたい。誰かに何かを届けることで、ボク自身が何かを見つけられるかもしれない――なんて希望的観測を抱えながら、手探りで進んでいる

あとがき

何度も筆が止まり、このページを書くだけで数か月たってしまった。気持ちを言葉にするのは簡単じゃない。とてもつらい記憶を掘り起こして、それを形にする作業は、正直、自分自身にも大きな負担だった。

それでも書いたのは、自分の気持ちを整理するため。そしてあわよくば、この文章が誰かの心に届けばいいと思ったからだ。今この文章を読んでいる君も、もしかしたらとてもつらい思いをしているのかもしれない。苦しい状況の中で、何かを探しながら、このページにたどり着いたのかもしれない。

でも、こんな人間もいるんだと、自分ひとりじゃないんだと思ってもらえたなら――書いた甲斐があるというものだ。

ボクの人生はデコボコの石ころみたいに転がり続けている。引っかかるたびに傷ついて、もう砕けてしまいそうだ。それでも、もう少しだけ転がってみようと思う。もしかしたら、その先で何かに引っかかって、這い上がるきっかけが見つかるかもしれないから。

もしボクと一緒に転がってくれる人がいるのなら、それはきっと心強いことだろう。一緒に傷つき、一緒に立ち止まり、それでもまた転がってみる。それができたら、少しだけ気持ちが楽になるかもしれない。そして、君の気が向いたのなら、話をしてみるのもよいかもね。言葉にするだけで、何かが変わることもあるかもしれないしね。

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双極性障害と歩むもの
双極性障害と向き合いながら、好きなものや趣味、日々の出来事を綴っていきます。
自分と同じような状況の人や興味を持ってくれた方とつながることを目指しています。
このブログを通して、少しでも共感や気づきが得られたらうれしいです。

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